Posted
on 2012/02/07, 9:17 PM,
by Kazuyuki Hidaka,
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diary*.

下積み生活。もうこれは人生そのものというより、人生全てがこれではないだろうかと、思える。
そういう意識を持って過ごすことが、完成の更に先を覗ける切っ掛けになるのではないかと、思える。
仕事は楽しいかね? という本を読んで、考えた。下積みの更に先、完成の更に先、そこに何が存在するのかは、今からの自分次第だろう。時間は有限だ。まずはそれを知って、時間の消費のされ方を知って、密度を濃くしていこう。その方が、きっと、今よりもずっと、楽しいものになるだろうから。
未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ。敬愛するアラン・ケイの言葉であり、現在の自分自身にも言えることではないだろうか。
前向きに生きようとすること自体、常に正しいとはかぎらないかもしれないが、今の私に兎に角、進む道をただ歩き行くだけである。
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on 2012/02/06, 5:00 PM,
by Kazuyuki Hidaka,
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diary*.
昨日 1 日、パソコンと携帯電話をいじらず、ラジオも禁止することにした。ネットの情報も、SNS の接点も、音楽すらない世界で丸 1 日過ごそうと決めたのは、直前の土曜日のことだった。
そういう日を設けようとした理由は至極簡単だ。朝から晩までパソコンでネットの世界を徘徊し、仕事や外出時にも携帯電話という機器を用いてその世界に出入りする、そんな毎日に変化をもたそうということではなく、ただ単に嫌になっただけ。ただそれだけである。普段からテレビがない生活であり、また一切の情報遮断は今後の人生を危うくしてしまうだろうと思われる為に、ひとまず丸 1 日のみの実施とした。それが、昨日だ。
昨日の分としてアップした数枚の写真にも書いてある通り、昨日の 1 日だけでも、自分との対話に使用できる時間が膨大な量で存在した。何しろ、本を読むなり食べ物を口にするなりしないと、他はほとんど自分との会話の時間になるのだ( その 2 つの行動の際にもある意味で自分との時間になっているのだろうけども )。さて、何をしようかというところから始まり、さて、寝ようかと思うその瞬間まで、数十年もの間付き合ってきた己との会話を続けていく( しかない )のである。
色々と考えた。数分後から数年後のことまで、少しずつ自分と会話していった。どうするのか、どうすればいいのか、どうしたいのか。正解も不正解も今はわからないものばかり。そうこうしていると昼食の時間になり、その昼食も何もない世界で行なう。そして、午前中と何ら変わらない午後が始まった。昨日はそういう世界になっていた。
普段では聞こえてこない音とも沢山出会えた。冷蔵庫の音、どこかの家から漏れてくる音、隣りの部屋のうっすらとした話し声、家のすぐ側を歩くカップルの声。普段はヘッドフォンをしているから聞こえてこないのだろう。それらの音が混じり合って踊り合っていく様がとても素敵だった。読書をする手を休めて、ただそれらの音に身を任せた。そういう時間も、昨日はあった。一度だけはなく、それらは存在していた。
読書に対しての集中力もまた、素晴らしいものがあった。それしかないという気持ちがどこかにあったのだろうか。それが、集中力となって現れたのだろうか。判断しかねるが、昨日 1 日だけで数冊の本を読み終わった。デザインの本、原発に関した本、仕事に関しての本、教えてもらった面白そうな本。色々な本を頭の中でジュークボックスの様に整理しては取り出して考え、宙を眺めながら、また味わった。いくらかの音たちもそれに参加したがった。拒否する立場にもない私は自然に身を任せた。時間が少しずつ、奇麗に流れていった。昨日は、そういう 1 日だった。
読み返すまでもなく、こういう日が必要なのは分かる。週に 1 度、少なくとも月に 1 度は必要なのではないだろうか。自分の進路について、最近の行いについて、色々と落ち着いて考える時間を作る。昨日の 1 日だけでは頭と身体の再起動は間違いなく足りない。睡眠という再起動装置だけではとてもすごせそうにない。その為に昨日のような日が、そういうことが必要なんだと思う。
少なくとも、今の私にはそうだ。自分と会話を行なえる 1 日が必要なのだろうと思う。少なくとも、自分にとっては。
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on 2012/02/05, 9:40 AM,
by Kazuyuki Hidaka,
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diary*.
昨日の日曜日、パソコンも携帯電話も見ない 1 日という風に設定していた為に、このブログも更新していなかった。ただ、ブログに載せる文章は書いていたので、ここにそれを掲載したいと思う。ある 1 日の日記の様なもの、だ。





愛を知れば人は強くなれる。そう教わりました。
まずは、そこからなのかなと感じながら、今日もまた陽が暮れていきます。
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on 2012/02/03, 11:11 AM,
by Kazuyuki Hidaka,
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about Books*.
本を読む本 という本を読み終えた。今回は内容を吸収するべくして読んでいたので、かなり時間がかかってしまったが、大した問題ではないだろう。これまでの読書を見直そうと思って手にした本だったが、これが予想以上の代物だった。
書かれていることは、基本的にノンフィクション向けだ。フィクションものに関する項目もあるが、明らかにとってつけたような内容で、妄想で楽しめるものに関しては説明不要とでも言いたげである。
また、再読をすべき本であることは間違いない。読書をする際の基本的姿勢が書かれているから、この本を軸に進めていくのが適当だろうと思う。いきなり上達するようなことではないだろうから、学んでは進んで、進んでは学んでを繰り返していくのではないか。少なくとも、私はそうやって進めて行こうとしている。
この本の目次は以下のとおり。
第一部 読書の意味
第二部 分析読書
第三部 文学の読かた
第四部 読書の最終目標
書かれていることは、非常に分かり易い。読書の意味を考えるところから始め、読書の第一レベルから第四レベルまで詳細に説明がなされている。点検読書、分析読書と進み、最終的には同様の主題で書かれた本を複数本読みしていくシントピカル読書にまで到達しようぜと、著者は語る。そのレベルに到達してこそ、真の読書体験だと言うわけだ。なるほど、分かり易く書かれているが、いざ実践となるとどれだけ困難であるかというのが分かる内容でもある。
点検読書というのは、目次や序文を含め、拾い読みや表面読みをすることで、どういった本であるかを判断する方法。書評ブログなどに目次が延々と記載されているのは、本に書かれた情報を明示することの重要性を分かっているからなのだろうと察する。そして、次の段階がいよいよ分析読書である。本を分類し、内容を解釈し、問題を浮き彫りにしていく。それらに対してどう批判するか、していくか。なるほどな。今後は、主にこれらを意識して読書をしていく必要があると痛感した次第だ。
その次に出てくる、シントピカル読書という言葉は初耳である。一人の著者だけでなく、複数の著者が同じ命題で書いた本を読み進め、分析し、そして批判していく方法のことをいうらしい。読んで終わりという形態ではすまさないどころか、さらに奥深くまで追求すべきなのだと著者は熱く語る。なるほど。そこまで到達できたら、読書の質もかなり変わってくるだろうな。
とまぁ、読書メモともいえないような内容を書き連ねてしまったが、この本の全てを分かってはいないので仕方がない。次に手にするノンフィクションは決まっているから、その本を読み進めながら上記の方法を実践していこうと思う。その中で分かったことがあれば、この場に書き記そう。うん。学びながら進むのだよ。それが一番だ。